不登校からひきこもり生活へ 生きがいと自信喪失 不登校体験談(高校生)
親と約束していた高校はちゃんといくという枷が僕の心を苦しめた。
わがままを言ったのだから、と僕なりに決心するところもあった。
このままじゃいけない気持は僕でもあった。
子供は子供なりに考えているもの。
考えていても、得られる答えは鬱屈したものだけなんだけど。
学校に登校しなくちゃいけないという「いい子でいなければ!」という強迫観念は親から小さいときからすり込まれていたから、どんなにいやでも僕は無理矢理行かなくてはいけなかった。
そこは僕の弱さであり、もしかしたら強さの部分なのかも知れない
どちらにしても、自分で自分を追いつめる天才だった
私立だったから、一貫教育で同じ高校だった。
当然クラスメートの数人は中学の時と同じで、それがいやでたまらなかった。
クラスメートが僕のことを変な目で見ている気がした。
僕は重苦しい時間を感情を殺しながら過ぎゆくのを待っていた。
感情を殺す 抑圧する
これは悩む人に共通していることだと不登校克服でお世話になった岩波先生はいっていた。
後年、僕はその通りで、苦しい精神状態に至ったのも、心のはけ口を見いだせず、抑圧し続けたからだった。
だから元気が出ないし、何をしなくてもきつかった。
絶えず、劣等感と不安と恐怖が僕の心を苦しめ続けたのだった。
無意識がどうにもならなかった。抑圧し続けたものが無意識で暴れ回っていたのだ。
僕の心が折れるが先か、高校生活が終わるのを待つか、完全にドロップアウトしてしまうのか
中学の不登校と違って、今度の不登校は、人生廃業、劣等感の飛躍的増大直結への扉を開けることという予感がした。
それは的中した。
でも、目の前の苦しさに比べたら、それでもまだマシだと思った。
好きで不登校になるわけじゃないのです!
選択肢でどちらがマシかといったら、不登校しか選択肢がなかったのです!
また僕は高校で不登校になった。
親の反応は、あまりにも僕の元気の無さを見て、強く言えない状態だった。
それがうれしいようなうれしくないような
コンプレックスの固まりとなった僕にとって、フリースクール通いもいやだった。
誰も自分をわかってくれる気がしなかった。
ひきこもりになり、僕を慰めたのは、ネットゲームだった。
ネットゲームにだけは熱中できた。
でも、建設的な熱中ではなくて、逃避ゆえの熱中だったけど
一日中ゲームをやってしまった時の罪悪感はあったけれど、どうしてもそこに逃げてしまう。
いわゆる、ダメ人間に見られるような感じだった。
そんな自分に罪の意識を感じつつ、抑うつしたまま生き続けました。
外に出なくなると、次に家から出ることがとても恐怖になる。
いやいやでも家から出ることに慣れていたら、心もうつ状態にならなかっただろう。
でも、家からでなくなることが苦しいって、そうとういっちゃってたと思う。
人間はきついことでも、立ち向かっていかないといけないと今では思ってます。
逃避し続けると、とことん駄目人間になってしまうと経験上悟っています。
でも、どうにもならない状態でした。
僕自身のことだから言っちゃうけれど、駄目人間そのもののひきこもり生活だった。
でも、みんな自分のことを駄目人間だとわかっている。
ひきこもりをしている人は特にそうだと思う。
だから、人から駄目人間だと指摘されることがいやだし、すごく傷ついたから、親からそう言われたときは、けっこう荒れてしまった。
なんとかしなければと思いつつも17歳にあっという間になってしまった。
大検だけをとろうと思っていたけれど。
うちは教育の家系だったから、形式的に大学だけは出ておこうと思った。
あとは考えたくなかった。
社会なんて恐ろしかった。
学校以上に恐ろしいものだと。
ここまでが高校時代の不登校からひきこもり生活のことです。
コミュニケーション能力は破滅的になり、そもそもコミュニケーションがとれる相手がネットゲームの顔も名前も知らない人とだった。
コミュニケーション能力がないということは、仮にひきこもりから立ち直っても、人間関係が作れない。社会に出ても味気ないし、一人で出来る仕事なんかないから、惨めな思いと低所得のまま老人にならなくちゃいけない。
とても怖かった。
未来も夢も希望もない状態だったんです。
夢や希望は誰もが持っているわけではないけれど、そんなこと考えちゃいけないという考えにとらわれていました。
劣等感も積もり積もると、いい考えも抑圧してしまうものなんです。
だから、そんな精神状態の人間に頑張れとか気力を振り絞れといわれても、逆効果ですね。
僕が思いますに、そんな人間でも、気持ちをくんでくれる、わかってくれる存在だけは必要としてると思います。
心のどこかで、自分のことは誰にもわからないものなんだ、といじけていても、どこかでわかって欲しい、こんな僕を救って欲しい、と願っていました。
それだけが夢と希望だったといっていいですね。
人と話すことが怖くなり、対人恐怖症になり、視線も怖くなってしまった。悪化は止まるところを知らずに転げ落ちていったけれど、17歳がそのピークでした。
このままじゃだめだ、心理カウンセリングに通ったり、精神的な病みを治療しなくてはいけないかもと家族が思い始めました。
実際通ったあと、うちの母親が岩波先生の大評判を聞きつけて、自分に薦めてきました。
だから17歳は自分にとって、最悪と変化の年齢だったと思います。
当時はそんな先生だって他と同じと思っていたけれど。
何でもチャレンジしなくちゃわからないってことですね。
心の悩みは早いうちにといわれますが、10代で頼もしい存在に出会えたことは幸運だったと思います。
コミュニケーション能力をいち早く岩波先生のおかげで身につけることが出来たことは、悩んで得した一番のことでした。
人間関係には50にも60にもなったって、苦しめられますからね。
どの年齢になっても立場になっても、人間関係の向上や改善はこいねがうものです。
一応、僕ねこすけの不登校原因ルーツ分析はこんなところです。
以上が中学不登校~高校不登校~ひきこもり体験談でした
まとめると↓です。
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談1
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談2
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談3
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談4
次からは不登校ひきこもり脱出の体験談や人間関係向上体験について書いていきたいと思います
わがままを言ったのだから、と僕なりに決心するところもあった。
このままじゃいけない気持は僕でもあった。
子供は子供なりに考えているもの。
考えていても、得られる答えは鬱屈したものだけなんだけど。
学校に登校しなくちゃいけないという「いい子でいなければ!」という強迫観念は親から小さいときからすり込まれていたから、どんなにいやでも僕は無理矢理行かなくてはいけなかった。
そこは僕の弱さであり、もしかしたら強さの部分なのかも知れない
どちらにしても、自分で自分を追いつめる天才だった
私立だったから、一貫教育で同じ高校だった。
当然クラスメートの数人は中学の時と同じで、それがいやでたまらなかった。
クラスメートが僕のことを変な目で見ている気がした。
僕は重苦しい時間を感情を殺しながら過ぎゆくのを待っていた。
感情を殺す 抑圧する
これは悩む人に共通していることだと不登校克服でお世話になった岩波先生はいっていた。
後年、僕はその通りで、苦しい精神状態に至ったのも、心のはけ口を見いだせず、抑圧し続けたからだった。
だから元気が出ないし、何をしなくてもきつかった。
絶えず、劣等感と不安と恐怖が僕の心を苦しめ続けたのだった。
無意識がどうにもならなかった。抑圧し続けたものが無意識で暴れ回っていたのだ。
僕の心が折れるが先か、高校生活が終わるのを待つか、完全にドロップアウトしてしまうのか
中学の不登校と違って、今度の不登校は、人生廃業、劣等感の飛躍的増大直結への扉を開けることという予感がした。
それは的中した。
でも、目の前の苦しさに比べたら、それでもまだマシだと思った。
好きで不登校になるわけじゃないのです!
選択肢でどちらがマシかといったら、不登校しか選択肢がなかったのです!
また僕は高校で不登校になった。
親の反応は、あまりにも僕の元気の無さを見て、強く言えない状態だった。
それがうれしいようなうれしくないような
コンプレックスの固まりとなった僕にとって、フリースクール通いもいやだった。
誰も自分をわかってくれる気がしなかった。
ひきこもりになり、僕を慰めたのは、ネットゲームだった。
ネットゲームにだけは熱中できた。
でも、建設的な熱中ではなくて、逃避ゆえの熱中だったけど
一日中ゲームをやってしまった時の罪悪感はあったけれど、どうしてもそこに逃げてしまう。
いわゆる、ダメ人間に見られるような感じだった。
そんな自分に罪の意識を感じつつ、抑うつしたまま生き続けました。
外に出なくなると、次に家から出ることがとても恐怖になる。
いやいやでも家から出ることに慣れていたら、心もうつ状態にならなかっただろう。
でも、家からでなくなることが苦しいって、そうとういっちゃってたと思う。
人間はきついことでも、立ち向かっていかないといけないと今では思ってます。
逃避し続けると、とことん駄目人間になってしまうと経験上悟っています。
でも、どうにもならない状態でした。
僕自身のことだから言っちゃうけれど、駄目人間そのもののひきこもり生活だった。
でも、みんな自分のことを駄目人間だとわかっている。
ひきこもりをしている人は特にそうだと思う。
だから、人から駄目人間だと指摘されることがいやだし、すごく傷ついたから、親からそう言われたときは、けっこう荒れてしまった。
なんとかしなければと思いつつも17歳にあっという間になってしまった。
大検だけをとろうと思っていたけれど。
うちは教育の家系だったから、形式的に大学だけは出ておこうと思った。
あとは考えたくなかった。
社会なんて恐ろしかった。
学校以上に恐ろしいものだと。
ここまでが高校時代の不登校からひきこもり生活のことです。
コミュニケーション能力は破滅的になり、そもそもコミュニケーションがとれる相手がネットゲームの顔も名前も知らない人とだった。
コミュニケーション能力がないということは、仮にひきこもりから立ち直っても、人間関係が作れない。社会に出ても味気ないし、一人で出来る仕事なんかないから、惨めな思いと低所得のまま老人にならなくちゃいけない。
とても怖かった。
未来も夢も希望もない状態だったんです。
夢や希望は誰もが持っているわけではないけれど、そんなこと考えちゃいけないという考えにとらわれていました。
劣等感も積もり積もると、いい考えも抑圧してしまうものなんです。
だから、そんな精神状態の人間に頑張れとか気力を振り絞れといわれても、逆効果ですね。
僕が思いますに、そんな人間でも、気持ちをくんでくれる、わかってくれる存在だけは必要としてると思います。
心のどこかで、自分のことは誰にもわからないものなんだ、といじけていても、どこかでわかって欲しい、こんな僕を救って欲しい、と願っていました。
それだけが夢と希望だったといっていいですね。
人と話すことが怖くなり、対人恐怖症になり、視線も怖くなってしまった。悪化は止まるところを知らずに転げ落ちていったけれど、17歳がそのピークでした。
このままじゃだめだ、心理カウンセリングに通ったり、精神的な病みを治療しなくてはいけないかもと家族が思い始めました。
実際通ったあと、うちの母親が岩波先生の大評判を聞きつけて、自分に薦めてきました。
だから17歳は自分にとって、最悪と変化の年齢だったと思います。
当時はそんな先生だって他と同じと思っていたけれど。
何でもチャレンジしなくちゃわからないってことですね。
心の悩みは早いうちにといわれますが、10代で頼もしい存在に出会えたことは幸運だったと思います。
コミュニケーション能力をいち早く岩波先生のおかげで身につけることが出来たことは、悩んで得した一番のことでした。
人間関係には50にも60にもなったって、苦しめられますからね。
どの年齢になっても立場になっても、人間関係の向上や改善はこいねがうものです。
一応、僕ねこすけの不登校原因ルーツ分析はこんなところです。
以上が中学不登校~高校不登校~ひきこもり体験談でした
まとめると↓です。
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談1
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談2
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談3
ねこすけ不登校原因と分析、及び体験談4
次からは不登校ひきこもり脱出の体験談や人間関係向上体験について書いていきたいと思います