中学3年、僕は不登校に 不登校克服までの道のり(中学生~)

僕がいやいやながら、中学3年の途中まで学校に通っていました。
ちなみに千○県の私立中学に通っていました。
小学生の時にすでに浮いていた僕が、中学でも難しいのは目に見えていました。
学校が楽しいと思ったことなんか、中学の時は一度たりとてなかった。
でも、苦しい思いをしながら頑張れていたのも、いい大学に通って、いい会社に就職する、できれば安定した公務員がいいという、つまらない親のいいなりになっていたからです。
そりゃ、中卒や高卒よりも、大卒で、しかもいいところを出た方がいいのは僕もわかっていました。
一応は成績が良く、コミュニケーション能力と人間関係構築能力が普通にあったなら、まあとんとんのところにはいけたと思いますが、肝心の人間関係がダメダメでした。
学校がきついところだったから、あと6年この学校に通わなければ駄目なんだと泣きたくなりました。
朝起きるのがつらくてつらくて、心が折れてしまうのを必死で根性でこらえていました。
それがもうダメダメになったのが、中学3年というわけです。
精神論はけっこうだけど、根性だけでは人間は長続きしません。
根性が必要なのは瞬発的、短期的なときです。
根性論は僕は否定しませんが、負荷が精神にかかるエネルギーはすぐ息切れを起こしちゃいます。

はじめて学校に行かないと決心したときの、うれしさ、ホッとした気持ちは、天国のようでした。
自分の将来なんか考えなかったし、つらい日々からの解放がうれしかった。
現実から目を背けていたとも言えるけど、まだまだ若いし時間があるし、嫌で溜まらない学校から解放される喜びはちょっと言い表せないです!
でも、親にしてみれば驚天動地、驚愕の事実です。
親はまさか自分の子供が不登校になるなんて思わなかっただろうし、まさに天地がひっくり返ったような騒ぎよう、あわてっぷりでした。

早くその嵐が収まって欲しいと願いつつ、でも決心だけは非常に固かった。
こうと決めたら、頑固な僕はてこでも動かなかった。
結局、僕の根気が親に勝った。
こんな所で頑なな根性を見せても何の生産性もなかったんだけど(笑)

ちょうど不登校の問題が深刻化していたときだったから、親もフリースクールに通うならばいい、高校はちゃんと通いなさいということで、一件落着した。
中学に通う苦しさと惨めさを考えたら、親の小言なんてへっちゃらだった。
いくらでも巻き返しが聞くと、まだ15歳にもならない僕は楽観的に考えていたけれど、そんな甘い世の中じゃないとわかったのは、そう遠くない未来だった。
ひきこもりの問題で高齢化が叫ばれているけれど、まなぶ場がないまま大人になるとますます社会の壁は高くなってしまいます。
社会人の僕はそれを感じます。

人間は堕落したらどこまでも堕落しちゃう。
きついことを避け続けたら、もう障害に立ち向かう気力も勇気もなくなってしまう。
でも、当時の心が傷ついていた僕にそんなお説教はつうじないことは、よくわかっている。
ほんとうにきついのだから。
悪魔と手を結んでも、学校に通いたくなかった
登校しろとは僕を滅ぼすつもりかー! そんな気持だった

でもそれじゃぁ、未来は手に入れられないんだけど。
どこかで立ち向かう時を覚悟しなくちゃいけない。
そのきっかけがあったから良かったけれど、それがなかったら今ごろ僕はどうなっていたのだろう?

次は不登校になってからの話を書きたいと思います

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